yullco1と小説 vol.1

 yullco1は他人の選書リストとかベスト〇〇を見るのが好き。なぜならオタクだから……。

 せっかくなのでyullco1もおすすめコンテンツをまとめていきたいと思います。小説、人文書、美少女ノベルゲ、SFあたりで。

 どのジャンルも好きな作品一気に紹介するのは気力も時間もキツイので小出し小出しでだらだらとやっていきます。

 最初は小説について。

 

yullco1と文学

 高校生のころの話をしよう。

 D&Gのライトブルーを毎日おなかにつけたりスニーカーの靴紐を左右違う色にするのを最高にオシャレだと思っていたりしたころの話だ。

 学校になじむのに失敗しともだち0人状態になったぼくは上記のような奇行に走り、常に内向き内向きこじらせスパイラルな生活を送っていた。

 そんな生活の空白の時間を埋めてくれ、こじらせをさらに悪化させてくれたのが文学だった。

 もともと現代文は好きだった。教科担当も授業開始時に黒板が完璧にキレイになっていないとブチギレることを除けばとてもいい先生だった。ちょっとした授業の空き時間に小説のコピーを持ってきてくれて読ませてくれた。1学級40人いれば、そういうのが刺さる人間は数人はいるだろう。ぼくもそうだった。

 毎週末は市の図書館に行ってバカでかい文学全集を借りてくるのが習慣になった。ぼくの文学の蓄積の大半はこの高校時代に積み上げたものだ。大学に進学して萌え萌えノベルゲームオタクになるなんて微塵も感じさせない文学少年っぷりだ。

そんな高校時代に好きだった作品の話をするよ。ノスタルジーたっぷり。

 あっ順番は適当です。

 

武者小路実篤『友情』

自分は淋しさをやっとたえて来た。今後なお耐えなければならないのか、全く一人で。神よ助け給え。

 

野島さま、野島さまのことをかくのはいやですが、野島さまは私と云うものをそっちのけにして勝手に私を人間ばなれしたものに築きあげて、そして勝手にそれを讃美していらっしゃるのです。

 

 高校時代1番ハマっていたのが武者小路実篤だ。『こころ』と『友情』を比較したレポートを提出して褒められたのは嬉しかった。想い人に理想を勝手に押し付けた結果グチャグチャになってしまう童貞。高校時代のyullco1も似たようなものだった。計り知れない共感と慰撫。

 武者小路だと『愛と死』が当時クソ泣いたのでまた機会があれば紹介したい。

 

友情 (岩波文庫)

友情 (岩波文庫)

 

 

西尾維新クビシメロマンチスト

 

「生まれて」「すいません」

やっぱ芥川より太宰だよな、と零崎は笑った。武者小路が一番好きだ、とぼくは笑わなかった。

 

 

ぼくにとってここは価値のある場所じゃないんだ。世界が明日滅びても、ぼくが今日に滅しても、そんなことはどうだっていいし、むしろその方がいいんだよ。だからぼくを殺すことに意味なんてない。あの晩だってあのまま殺されても、別によかったんだ。

 

 読み終えた夜はもんもんとして眠れなかった。武者小路つながり? 西尾維新戯言シリーズの2作目。これで人生がメチャクチャになったオタクは多いのでは? いーちゃんの厭世的な語りとけれん味たっぷりの言葉遊びはyullco1のこじらせを大いに加速させた。

 高校時代の読書のメインは明治~昭和だったんだけど乙一とか桜庭一樹とか米澤穂信とかも大好きだった。これはこれで別の機会にお話したい。

 ちなみに西尾維新、他作品についても何度か読もうと試みたことがあるけれど何故か途中であ~ムリムリ! となってしまう(『少女不十分』は何とか読めた)。戯言は今でもたまに読み返すよ。

 

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識 (講談社文庫)

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識 (講談社文庫)

 

 

川端康成眠れる美女

娘が決して目をさまさないために、年寄りの客は老衰の劣等感に恥じることがなく、女についての妄想や追憶も限りなく自由にゆるされることなのだろう。目をさましている女によりも高く払って惜しまぬのもそのためなのだろうか。眠らせられた娘がどんな老人であったかいっさい知らぬのも老人の心安さなのだろう。老人の方でも娘の暮らしの事情や人柄などはなにもわからない。それらを感じる手がかりの、どんなものを着ているのかさえわからぬようになっている。老人どもにとってあとのわずらわしさがないという、そんななまやさしい理由だけではあるまい。深い闇の底のあやしい明りであろう。

 

 高校生の頃は性描写のある小説をあまり好まなかった。ムリってほどでもなかったけど。ただ村上春樹だけはだめだった。よく聞く名前だし読んでみるか!と手にとってもそういうシーンが出てくると完全拒否でウワーッ、セックスだ! となって閉じてしまった(大学生になると平気になったので一気に読んだ)。

 本題に戻ります。

 海のそばのひっそりとした宿。既に男性としての機能を失った老人。薬で眠らされた裸の娘と添い寝をするだけの秘密クラブ。

 この設定がよぉ、やべえでしょ……。

セックスしてない(できない)のになんでこんなに妖しくてエロエロしい話があるんだ……と感動した作品。

 

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

 

 

大江健三郎『死者の奢り』

死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて、堅固な、馴じみにくい独立感を持ち、おのおの自分の内部に向って凝縮しながら、しかし執拗に躰をなすりつけあっている。

 

 大学生が女の故と医学部地下室の死体保存施設でアルバイトをするお話。

 「躰」についてのネチっとした描写が印象的。死体から照射される生の徒労と閉塞感。うんうん、わかる~。

 死体性愛みたいな要素あり。

 

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

 

三島由紀夫金閣寺

私はまた、その屋根の頂きに、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅の鳳凰を思った。この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に時間のなかを飛んでいるのだ。時間がその翼を打つ。翼を打って、後方に流れてゆく。飛んでいるためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえし、いかめしい金いろの双の脚を、しっかと踏んばっていればよかったのだ。

 

どんな事柄も、終末の側から眺めれば、許しうるものになる。その終末の側から眺める目をわがものにし、しかもその終末を与える決断がわが手にかかっていると感じること、それこそ私の自由の根拠であった。

 

 文章がすごすぎる。以上!って感じである。ものすごい密度の装飾。「美文」という呼び方がふさわしいのかはわからないけれどとにかく圧倒される。物語よりも修辞に夢中になって三島作品ばかりを読んでいた時期もあった(今やったら絶対胸焼けする)。

 彼の思想や振る舞いについてちゃんと知ったのは大学生になってからだった。それ含めておもしろい(ムキムキ)。

 

金閣寺 (1956年)

金閣寺 (1956年)

 

 

古井由吉『杳子』

ああ、美しい。今があたしの頂点みたい。

 精神を病んだ女子大生杳子と青年の共依存チックな話。

 もやんもやんとした展開で何かドラマチックなことが起こるわけでもないのだけど、作品全体の雰囲気がとてもきれい。

 愛でましょう。

 

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

 

 

 

 

 ガーッと書いてみたよ。楽しかった。(「けど」とか「けれど」多すぎません?)

 もうちょい読みやすいデザインにしたい。

 次はノベルゲにしようかな。

 年末に作った謎リストを貼るだけ貼っておくよ。